⑤花の20代Part3
コケの美しさにはまりました✨
前回の続きです。
その壮絶な生活は全部で10年くらいで、オリンピック目指して頃は3年目くらいでした。
ちなみに、私の少しの抵抗として一年に一回家出をしてました。
初めては2日くらい連絡シャットダウンしてただひたすら遠くへ歩きました。
歩くってだけで前に進める!!、なんて楽しいことなんだろうと、甲府から東京まで歩けそうな勢いのテンションでした。
連絡シャットダウンしたという、一瞬だけど束縛からの開放。
気分爽快でした。
結局甲府から山梨市にある15キロ程の「ほったらかし温泉」まで無心で歩きました。片道7時間ほどだったかな?
さすがに帰りは疲れ果てて家に帰って寝ました。
そして洗脳の怖い所は、心配かけて悪かったな、早く戻らなきゃ、などと思ってしまうんです。
そして2年目は3日くらいどこか出かけてはまた戻って、3年目は一週間くらい東京神奈川をフラフラしましたね。
4年目は約3週間名古屋へ住みました。
こんな風に年々長くなってると言うw
でも必ず戻ってしまうのです。
そして戻ってから一週間は相手も反省してるかのように優しく振る舞ってくれるのです。
でも一週間過ぎるとまた鬼が出てくるのです。
これって以前よりパワーUPしてね??
って毎回感じてました。
話しが少しそれました。
では、目指せシドニーオリンピック!
の為の全日本大会一回戦を迎えた所から行きますね。
練習で自然に絞れたとは言え56キロバンタム級から47キロのフィン級におちたので 見た目はガリガリに見えました。
身長は163あって、ちょうどマラソンでシドニーオリンピックで活躍した高橋尚子さんと同じ体型でした。
肉体は1000%完璧なのに魂が体にないようなもんだったから、試合もとにかく早く終わりたいと言う気持ちで、一切勝ちたい!とは無かったです。
今思えば違う人の魂が入っていたら絶対勝てたと思います。
身技一体の意味を深く感じた頃でした。
結果はもちろん一回戦負け。
でも少しも悔しくないし、やっと終わった!!
帰れる!!
と、もうホントに抜け殻でした。
そこから一年くらいハッキリと記憶はないですね。
ただ流されるように過ごしてたと思います。
練習時間も以前より減ったと思います。
ただ、師範との接してる時間は全く変わらなかったのでホントに頭おかしくなってると言うか、燃え尽き症候群みたいな脱力感が続きました。
今日はここまでで。
読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m